私がどうしてピラミッドにこだわるかというと、「7つの濾過器」にクフ王のピラミッドが潜んでいることがあげられる。そうして、そのことがデュシャンの作品を読み解く鍵のひとつと思われるからである。
クフ王のピラミッドの傾斜角は51度50分であるとすると、頂角は76度20分となる。この20分を切り下げ、76度としよう。一般的にクフ王のピラミッドの頂角を76度としている本も多い。
私はこの76という数に注目した。デュシャンは人類の文明の最初の到達点を表す数を76としたのではないか。英知の数といってもよい。
そうするとこういうことが言えるだろう。
「3つの停止原器(図1)」がある。これは1メートルの糸を1メートルの高さから落下させた時、偶然できた形で、それを3回くり返し「3つの停止原器」を作った。
メートル法はフランス革命のなかで、フランスの度量衡の統一を提唱する人々によって構想されたと言われる(注1)。そうして、メートル原器とキログラム原器が作られ、のちに国際的な度量衡の統一に発展する。1メートルを定めるには、北極からパリを通り赤道までの子午線の長さを測り、その1000万分の1を1メートルとした(図2)。「…科学を、おだやかで軽い、を取るにたらないやり方でけなす…(注2)」のが心情のデュシャンは1メートルの糸(1メートルとは直線であるから)を1メートルの高さから落下させることでデフォルメした。この新案の雲形定規を使って、「停止原器の網目(図3)」や「Tu m’」を描いた。しかし、「科学を取るにたらないやり方でけなす」と言いながら、これはデュシャンなりの科学に対するオマージュではないだろうか。パリ市内には街頭に1メートルを表示した銘盤(図4)がいくつかあると言う。デュシャンは目について仕方なかったことだろう。

図1
図2

図3
図4
次に「ローズ・セラヴィ なぜくしゃみをしない?(図5)」であるが、なかに角砂糖が入っているように見える鳥籠である。しかし、この鳥籠は意外に重く、持った人はびっくりするそうである。角砂糖に見える白い立方体は大理石だからである。このことから「ローズ・セラヴィ なぜくしゃみをしない?」はキログラム原器のもじりであると考えた。鳥籠のなかに入っているものは152個の大理石とイカの甲、温度計、4本の止まり木である。

図5
図6
ここでつぎのような推論が成り立つ。ただし、4本の止まり木は大理石の重量に耐えるためのものとして考えに入れないでおこう。
デュシャンはメートル原器、キログラム原器(図6)、つまり、度量衡の統一を古代エジプトの英知に匹敵する英知と考えたのではないだろうか。
それは、76+76=152だからである。2つのピラミッド、すなわち、2つの英知。
東野芳明によれば、この152個の大理石にはMade in Franceの刻印が押してあるそうである(注3)。次にイカの甲であるが、フランス語ではOs de Seicheである。甲=Osは発音は[O]であり、[O]はゼロに通ずる。そして、温度計には普通、摂氏と華氏の目盛りが付いている。
つまり、どちらの零度かわからない。
だから、ローズ・セラヴィはくしゃみができないのである。
因みに、摂氏0度は華氏32度である。
デュシャンはメートル原器、キログラム原器を賛美し、それらを生みだしたフランス革命をも賛美した。しかし、その限界も示したのである。球形、円錐形、円筒形を自分の作品に使うことでユークリッド幾何学を賛美し、「不幸なレディ・メイド」で、それを葬送したように…。
フィラデルフィア美術館のルイーズ&ウォルター・アレンズバーグ・コレクションにはデュシャンがふたりのために購入した何点かの作品がある(注4)。そのひとつにピエール・ロワの「メートル法(図7)」がある。そこには様々な計測機器が描かれている。これらのような機器を使ってフランス革命後のダンケルク―パリ―バルセロナ(図8)の間の子午線を測量したのであろう。また、机の上には天秤(trébuchet―デュシャンのレディ・メイドで床に張り付けたコート掛けもTrébuchetである)も載っている。アメリカ合衆国はいまだにヤード・ポンド法が一般的であり、メートル法になじまない国であるが、デュシャンの作品世界にはどうしても必要であったと思われる。

図7
図8
図9
- 注1 多木浩二の「絵で見るフランス革命」の「8 時間と空間の革新」を参照した。つぎにケン・オールダーの「万物の尺度を求めて」 吉田三知世訳 2006年 早川書房 に当たった。この本ではメートル法をめぐる様々な逸話にあふれている。オールダーはデュシャンの「3つの停止原器」についても触れている。
- * 「コーヒー・ミル(図9)」について、「4 アルブレヒト・デューラーの『メレンコリア1』との関係」の注9、「6 球形、円錐形、円筒形とは」でも触れたが、コーヒー・ミルのハンドルは垂直にも水平にも回転しており、これを地球儀と見ると垂直に回転する最も高い位置を北極とすると水平に回転するところは赤道になる。デュシャンはこういった見方を可能にするような作品を作った、あるいは、無意識に作ってしまったと思われる。
- 注2 「デュシャンは語る」 P‐74</li>
- 注3 「マルセル・デュシャン」 P‐209
- 注4 「マルセル・デュシャン書簡集」 フランシス・M・ナウマン エクトール・オバルク編 北山研二訳 2009年 白水社 P‐348-349</li>
- * 勉強不足を告白しますが、インターネットではじめてピエール・ロワの「メートル法」を見たときは驚いた。
デュシャンはこれらのことを周到に準備したと思われる。
