デュシャンの作品について考えてゆくとき、私には悩ましい言葉があった。
そのひとつは「解答はない。なぜなら、問題が存在しないから(注1)」であり、もうひとつは「絵画はもっぱら視覚的あるいは網膜的であるべきではないんです(注2)」である。
まず、デュシャンの代表作、4点を並べて見てみよう。そうして、デュシャンの作品とふたつの発言からデュシャンの立ち位置について考えてみよう。

図1
図2
図3

図4
図5
- 1「階段を降りる裸体(図1)」 1912年
- 2「泉(図2)」 1917年
- 3「彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも(図3)」、通称、「大ガラス 」 1915年-23年
- 4「1. 水の落下 2. 照明用ガス が与えられたとせよ(図4,5)」、通称、「遺作」
1946年-66年
それぞれは全く似ていない。また、どれもそれまでの美術の常識を超えている。
- 1「階段を降りる裸体」はキュビストたちの反発に会い、出品を取り下げた。その後ニューヨークのアーモリー・ショウに出品し、センセーションを巻き起こした。
- 2「泉」は工場で生産された男性用小便器である。デュシャンはこれに全く手を加えず、「R.Mutt 1917」とサインした。「Fountain」と題をつけ、ニューヨーク・アンデパンダン展に出品したが、「泉」は仕切りの裏側におかれ、無視された。既製品をそのまま、あるいは、少し手を加えて作品にすることを「レディ・メイド」と呼ぶようになる。
- 3「大ガラス」は1915年から制作が開始され、23年に未完のまま制作を中止する。
- 4「遺作」はデュシャンの死後、1969年に公開される。
「解答はない。なぜなら、問題が存在しないから」は、まだコレクターであったシドニー・ジャニス夫妻が1945年に美術雑誌「View(図8,9)」に寄稿した「マルセル・デュシャン:反芸術家」のなかでデュシャンが言った言葉として出てくるものである。興味深いのは、この時点でデュシャンが「大ガラス」の制作を中止してから20年以上たっていることであろう。この言葉はピエール・カバンヌの「デュシャンは語る」の冒頭(注3)でも、カルビン・トムキンズの評伝「デュシャン」の最終章(注4)でも引用されていて、デュシャンを語るときの常套句になっている。
また、「絵画はもっぱら視覚的あるいは網膜的であるべきではないんです」は1955年のジェームス・ジョンソン・スウィニーとの対談のなかに出てくる言葉であるが、カバンヌの「デュシャンは語る」でも述べている。
デュシャンは「大ガラス」について問われると「…私が中に入れたもの、それが何だったかわかりますか。私は歴史や、よい意味での逸話を、視覚的な表現に混ぜ合わせたのですが、視覚性、目に見える要素には、普通ひとがタブローに与えているほど、重きを置きませんでした。…(中略)…それは網膜とは別の何かに依拠しているのです(注5)」と言っている。それに、その少しあとでも「網膜があまりに大きな重要性を与えられているからです。クールベ以来、絵画は網膜に向けられたものだと信じられてきました。誰もがそこで間違っていたのです。…(中略)…以前は、絵画はもっと別の機能を持っていました。それは宗教的でも、哲学的でも、道徳的でもありえたのです(注6)」としている。
デュシャンの「網膜」、「網膜的」という言葉は分かりにくい。たぶん、デュシャンの発言以前にそのような美術に対する見解があったことなのだと思われる。私は「網膜」を絵画を語るときに付きまとう「美しさ」、あるいは「美しいということ」と読み変えてみた。そうすると意味が通るのではないだろうか。つまり、デュシャンの作品は美しさを追求することを第一義としていないということになる。
そうして、これらのことから、私はデュシャンの作品は人々に十分に解明されているわけではないと考えるようになった。デュシャンの解釈でもっとも重要なもののひとつはアンドレ・ブルトンの「花嫁の燈台(注7)」であろう。これまでのデュシャン論の多くは「花嫁の燈台」を土台にしてきた。しかし、それでもまだ触れられていないことがあるように思われる。デュシャンは様式化(繰り返し)を避けるように作品を作ってきたので、画風や作風といった言葉では語りにくい。「階段を降りる裸体」、「泉」、「大ガラス」その他の「レディ・メイド」などを見た人たちは、それらから何を考えたのだろうか。
たとえば、「トランクのなかの箱(図6)」に収められた図版やミニュアチュアとそのもとになった1930年ごろまでに作られた作品について、「不可思議な絵画」と「不可思議な物体」といったふうに受け取られていただろうと思われる。

図6
図7
そのことをデュシャンは知りぬいていて、ジャニス夫妻に「解答はない。なぜなら、問題が存在しないから」と二重否定したのではないだろうか。
そうすると66年にカバンヌに「(「大ガラス」の―引用者注)中に入れたもの、それが何だったかわかりますか。私は歴史や、よい意味での逸話を、視覚的な表現に混ぜ合わせた…」という発言は大きな意味を持ってくる。つまり、デュシャンは「歴史や、よい意味での逸話」という「問題」を「大ガラス」(やその他の作品)に「混ぜ合わせた」が観客はそれを分かっていないということになるのではないだろうか。その「問題」とはクールベ以前の絵画の機能であった、宗教的、哲学的、道徳的なものといった側面もあるだろう。
トムキンズはデュシャンの評伝の最後のページを唇に手を当てたポートレイトと「解答はない。なぜなら、問題が存在しないから」に充てているので(図7、注8)、1996年の段階でもまだ「問題」が見えていなかったと思われる。
デュシャンはスウィニーに「危険なことはやはり、きわめて直接的な鑑賞者を喜ばすことです。…(中略)…真の鑑賞者を感動させるとなると、50年あるいは100年待たなければなりませんね(注9)」と言っている。50年、100年後の鑑賞者、観客のための仕掛けがあるのではないだろうか。
私はデュシャンが「視覚的な表現に混ぜ合わせた」、「歴史や、よい意味での逸話」を取り出してみようと思った。
- 図1から図4,5まで、フィラデルフィア美術館 図7は“Duchamp:A Biography”Calvin Tomkins,Henry Holt and Company,New York,1996より
- 注1“Marcel Duchamp:Anti‐Artist” Harriet and Sidny Janis View no.1 1945
再録・リプリント“Dada Painters and Poets:An Anthology”Robert Motherwell Haverd Univ.press 1951-1989 P‐313

図8
図9
- * Viewの表紙(図8)も裏表紙(図9)もデュシャンによるものである。この号にはアンドレ・ブルトンの「花嫁の燈台」の英訳も載っている。
- 注2 「マルセル・デュシャン全著作」 ミシェル・サヌイエ編、北山研二訳 未知谷 1995年 「対談 マルセル・デュシャンとジェームス・ジョンソン・スウィニー」P‐278
- 注3 「デュシャンは語る」 カバンヌ 岩佐鉄男・小林康夫訳 ちくま学芸文庫 1999年 P‐12 この対談は1966年に行われ、67年に出版された。
- 注4 「マルセル・デュシャン」 トムキンズ 木下哲夫訳 みすず書房 2002年 P‐481~2 元の本は1996年に出版された。
- 注5 「デュシャンは語る」 P‐72~3
- 注6 「デュシャンは語る」 P‐82
- 注7 「燈台の花嫁」 巌谷國士訳 東野芳明解説 ユリイカ 総特集 ダダ・シュルレアリズム 1981年5月臨時増刊号 P‐78~95
- 注8 「マルセル・デュシャン」 トムキンズ P‐482 トムキンズの元の本である“Duchamp:A Biograpy”では P‐464
- 注9 「全著作」 P‐274
