1970年代の半ばくらいのことだったと思う。アンヌ・ダノンクールとキナストン・マックシャインによるフィラデルフィア美術館発行のマルセル・デュシャン展の図録を見たことがあった。図録の後半はさまざまな人々によるデュシャンへのオマージュになっている。そこには瀧口修造のたった一度のデュシャンとの出会いものっていて興味深く読んだ(注1)。
そのアンソロジーのなかでいちばん違和感があったのはWilliam T.Wiely(注2)の「To Marcel Duchamp,1887-1968,Tool and Die Maker 1968(図1)」であった。ステンレスで作られた球とピラミッドを鎖でつないだものである。私はそのころデュシャンを漠然とシュルレアリストのひとりととらえていたので、なにかそぐわない感じがしたのである。この作品はむしろプライマリー・ストラクチュアーに近いと思った。
それから20年もたっただろうか、東京大学の美術博物館にデュシャンの「大ガラス」の東京バージョンを見に行ったとき、オクヤナオミのデュシャンへのオマージュが展示してあった。そのなかに「プロフィールの自画像」と●▲■を組み合わせた作品(注3)があった。このときはやっぱりデュシャンのなかには図形的あるいは形体的な考えがあるのだと思った。私はいつのころからかデュシャンはシュルレアリストではないのではないか、と感じるようになっていた(注4)。
というのは、私は「大ガラス」の「男性図」のなかに球形、円錐形、円筒形が眼につき、いろいろ調べ始めていたのである。この球形、円錐形、円筒形とはセザンヌのエミール・ベルナールへの手紙に出てくる言葉で、のちにキュビズムの命名のもとになったものである。デュシャンは「大ガラス」を構想するにあたって、そのひとつの要素にセザンヌの球形、円錐形、円筒形を加えたのではないかと考えたのである。
それはつぎのようなものだ。
まず、球形である。球形は小さいが「鋏」の左の部分の2つのぽっちである。私はこれが鋏の飾りとは思えなかった。
円錐形は「7つの濾過器」である。
円筒形は「水車」が回転し、それを横から見れば、薄い円筒形になる。また、デュシャンは「チョコレート磨砕器」のロールを3つの円筒形と言っている(注5)。
私は「大ガラス」のカラーコピーと油土で「マルセル・デュシャン考(図2)」を作った。
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図1 -

図2
ところで、私は「大ガラス」を見ながら、2つの球体と言ってはじめに想起するのは2つの目玉である。誰でもそうだろうと思う。そして、「9人の独身者たち」は「独身者の機械(平面図)(図③)」の図面では離れたところにいるのであるが、何人かは「水車」を支持するコンテナに拘束されているようにも見える。デュシャンはだまし絵を意識して配置したのだろう。その右上に2つの球体がある。そうすると、この2つの球体は独身者たちの「欲望の目玉」と呼べるのではないだろうか。
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図3
ここからはヘンダーソンの「duchamp in Context」のなかの記述(注6)を参考にして述べる。この鋏の左側にある2つの球体を交叉している所から、右にひっくり返す(図4)と、「大ガラス」のための試作といった意味あいの強い「約1時間片目を近づけて(ガラスの裏側から)見ること(図5)」に似てくるだろう。2つの球体はレンズを挟んだ大小の2つの円になった。反対にレンズは大ガラスでは検眼図の一番上の(鋏の間の)○になった。
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図4 -

図5
そして、2つの球体を2つの目玉とすれば、「遺作」の扉の2つの覗き穴(図6)につながってゆくだろう。
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図6 -

図7
デュシャンの「芸術家の父親の肖像(図7)」から受ける印象やそれに対するデュシャン自身の解説(注7)を読めばセザンヌの影響が大きいと思われる。しかし、デュシャンはカバンヌにセザンヌの影響について尋ねられるとマチスを発見したことや、マネは偉大な人物だった(注8)と言ったりするのである…。
ここで恐縮であるが、「芸術新潮」の2005年2月号、「特集 謎の男 マルセル・デュシャン」(解説・平芳幸浩)の「《大ガラス》を図解すると…(図8)」を全部、転載させていただく。この図解がないと解釈が進められないのである(注9)。独身者たちの職業、エネルギーの流れなど、多くのことはこの図解を前提にしている。しかし、この前提に別の考えを重ねて「大ガラス」を見ることができるように思うのである。
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図8
- 図1 Mr.and Mrs.Edwin Sabol,Villaova,Pennsylvania 図2 作家蔵 図3 個人蔵 図4 フィラデルフィア美術館 図5 ニューヨーク近代美術館 図6,図7 フィラデルフィア美術館
- 注1 “Marcel Duchamp” Anne d‘Hanoncourt,Kynaston Mcshine The Musum of Modern Art and Philadelphia Museum of art 1973 P‐222-223 これの翻訳は「Personally Speaking」 瀧口修造 エピステーメー 全頁特集「マルセル・デュシャン」 1977年11月号 朝日出版社 P‐149-152
私事を申し述べると、私はこのダリの家の玄関での出来事を故瀧口氏から直接、聞く光栄に浴した。その時の氏のはにかんだ微笑が忘れられない。 - 注2 前掲書 P‐228
- 注3 東京大学美術博物館所蔵 オクヤナオミ氏に問い合わせたところ、オクヤ氏はそのポジを持っていないとのことでした。
- 注4 「デュシャンは語る」のもとになった「デュシャンの世界」は1978年に朝日出版社から刊行された。この本をよく読めば、アンドレ・ブルトンとは距離があることが窺えるが、78年当時、私には解らなかった。シャルボニエの「デュシャンとの対話」(北山研二訳)はみすず書房より1997年に発行され、そのなかではブルトンとはっきり決別している。「…私は(デュシャン―引用者注)…(中略)…絶対的に内在的なシュルレアリストであるとは思っていません。…(中略)…彼(ブルトン―引用者注)の考え方には一度も賛成しませんでした。…」 P-84
- 注5 「全著作」 P‐333
- 注6 “duchamp in Context” P‐114
- 注7 「全著作」 P‐325 「…親[ジュスタン=イジドール・デュシャン]を思う気持ちと私のセザンヌ礼賛とが混じりあったものの典型的な例証です」としている。
- 注8 「デュシャンは語る」 P‐31-33
- 注9 「芸術新潮」2005年2月号、「特集 謎の男 マルセル・デュシャン」(解説・平芳幸浩) P‐46
これ以前の図解では、グロリア・モウレの「マルセル・デュシャン」(野中邦子訳 美術出版社 1990年)のなかにある ジャン・シュケによる「大ガラスの手がかり」や東野芳明の「マルセル・デュシャン」の「『大ガラス』の図解(主にアルトゥロ・シュバルツに依拠)」などがある。 - * 図3の「独身者の機械(平面図)」はよく見えないのでグロリア・モウレの「マルセル・デュシャン」の図版54を参照してください。
